わこ

わこです

7/17(金)

生きるってなんだ?わたしどこにいるんだ?って最近思います。

わたしたちって生まれる前から社会ができていて、そのうえに乗っかるようにして生まれとるじゃないですか。

そもそも人間って、地球上の億か兆かわからんけど途方に暮れるくらいたくさんいる人を全員取りこぼすことなくまとまりとして生活しようとしてるのよね。それを社会って呼んで、わたしたちはいつもそこに適応しようとしとる。そしてたぶんそれを〇と潜在的に仮定して生きとる。(だからきっと取りこぼしも一定数いて、ぽーっとした意識で見たらそれらを煙たく思うかもしれんけど、それってわりと当然で、ある意味在るべき存在だとわたしは思う。)

母体数がすごい数だから仕方ないとはいえども基本あんぱいを狙ってるというか、ちょっとでも危ない可能性があったらつぶしとこうねみたいな社会の風潮、が、危なくなかったケースの素敵な結末も潰してしまうんです、歪んでしまう人もきっといる。

そんなことしちゃダメに決まっとるよ、とか、そんなことするのアホよ、とか、当たり前のように否定できることほど、掘り下げてしまえばただの概念だとわかる。理由があるようでない、ようで、ある。

自分らしくある、みんなを理解する、みんなで生きていく、これが全部〇でしょうかっていうマルバツ問題みたいな、いや何言ってるんだろ、ただわたしがドライなだけかもしれんけど、わたしもみんなもなに頑張ってんだろうってたまに思う。

こうありなさい!よりは、自分らしくいましょうの方が多少は動物的(?)になっとるかもしれんよ、けどもうもはやそれすらもいらんと思うの、結局、周りのこうありましょうっていうのについていく意識がある限り窮屈よね、それで自分らしくいようとしても、どこかから聞こえる「みんな自分らしくいたら素敵だネ」の返事になってしまうからネ。そうだよね〜私も自分らしくいるよみんな!!みたいな。いやこれわたしがひねくれてるかな。

地球をひとつにってことは人間たちもひとつにまとまらなきゃいけなくて、それは人間としては協調していて豊かでいいかもしれんけど、ヒト科の動物としてはたぶんよくない。

いや差別とか貧困とかそこはフラットでいるべきだとおもうけど、今話してるのはそこじゃないというのだけちょっとわかって欲しいよ、今話してるのは、あなたの頭の中で寝とる人の話です。

だってわかんないことが多すぎるよね、人間の心ひとつとっても解明できないものばかりなのに、わたしたちは何をもってしてまとまろうとしとるのか。(心理学って確かに学びとして結果に出ているかもしれないけどきっとまだまだわからないし、結局統計学にたどりつくものが多くてわかんないなあっておもいます。)

人の脳は賢いかもしれんくて、だから今みたいにまとまらないと世紀末みたいな大変な世界になるのかもしれないけど、だからといってあんぱいを狙うあまり人の賢さの可能性を封じこめて生きさせるのはあまりに不自由だとおもう。制限をかけておきながら歴史的な発展をしようとするなんて矛盾してるし難しいよ。いまはたぶんそれだとおもうのわたし。

わたしの勝手な勘だけど、わたしもふくめてみんな、あと5倍くらいは脳が使えてもっと考えることができて、頭の中で考えを4次元にも5次元にも広げて置き換えることだって出来るとおもう。人間の可能性てまだまだよ。

少なくともこんなにガチガチの社会ではそれができる人って限りなく少なくて、その少ない人達がキラッキラに輝いてる、それを見て何を思うか民衆よ、みたいなのが現状かなっておもいます。ちょっと卑屈ぽくいうとね。本当は多分もうすこしライトよ。

でもガチガチにせんといかん訳もわからんでもないし罰というものが付いてくるのでわたしはファンキーになれず、大人しく甘んじて受け入れる、そのなかでこそこそコイル巻いていつか雷くらい落とせたらいいですよね。電気詳しくないから適当ですけど、そういうイメージでいきますわたし。

こうやって考えてしまう私はきっと少数派で、このブログをこんな所まで読んでくれてるあなたもわかんないけどきっと少数派で、少ないっていう文字を使っておきながら世界の人口における少数派は何万、何億人ですかって話なので、ほんと、誰が何するとかなに思うとかしらんけどわたしはこんなとこ歩いてられるかっておもいます。

でも人は好き。おわり