わこ

わこです

12/17

こんばんは。わこです。

 

色々時間が過ぎて、1年間ほんと色々ありましたが、とにかく色々とゴングがなって終了、カンカンカン!結果的に12月17日夜現在、1人で己とタイマンする毎日を送っています。まじ、ガチンコです。

夏ごろ、なんか浮き足立っていて、文章なんて書いてられるか!わたしは歌をかけ!って思って更新を辞めたブログ、もう歌詞だと飽和しすぎて無理なのであらためて文章にすることにしました。

わたし、いやわたしだけじゃないと思うけど、何かひとつに夢中になっていると、文字通り周りが見えなくなって、両眼視野がシマウマどころの騒ぎじゃない狭さに至ることばっかりですよね。

少なくともわたしは気持ちが0%か100%で生きているので、ほんとタイミングいいときは最高な作用するけど言い方変えたら何につけてもデロデロの依存症ですから。人は寂しさの生き物だとつくづく思います。

その時に全部気づけたらどんなに優雅な暮らしだろうかと思いますが、わたしやばいよ!ってなかなか自分では気づかんもんですよね。麻痺してるし。

 

わたしの意識が家だとするならって話をして今日は終わります。

わたし、自分をなんとか信じたくて、まず真っ先にドアを締め切るんですよ。鍵かけてチェーンかけてセメント固めてレンガ積んでもはや壁ですよ。そうじゃないと人の意見に流されそうでやっとれんのですね。

それで、相談したり頼ったりみたいな弱いところを見せることもできなくて、窓も締め切りました。

あとなんか小さい音がすごく気になって、生活音にしてしまえば全然苦にならないと思うんだけど、なんか嫌で換気扇もかけません。

それで、一番最初に招き入れた、好きな人や場所、考え方とかで集まってみんなで温めあってる気持ちになっちゃって、みんなはちゃんと外にいるけどわたしだけは外の空気に触れてるようで触れていなくて、どんどん自分の空気が悪くなっていく、けど暖かくて平穏な暮らしが訪れます。窓も、温度差でくもってます。これ頭の中の話ですけどね。

もう誰の意見がみんなの意見かわからない、とりあえずこの家の中で批判は受けたくない。

そうこうしていたら、生き物は酸素を吸えば二酸化炭素を吐くので段々苦しくなってきて、生暖かくて眠たくなるし、でろんでろんになってきました。

あー、なんだか慢性的にしんどい。でも、ちょっとわたしが耐えて頑張りさえすれば、このままのあたたかい暮らしを続けられるから、がんばれわたし、、、っていうところにバリーーーーン!と空き巣か誰かがバットで窓を叩き割りました、あ、頭の中の話ですけどね。

その人は私たちに気づいてるのか気づいてないのか、すごい勢いで金品とか金品に変えられんものとかわたしの体温とか色々奪って去っていって、ほんとに最悪、色んなものなくなって心がつらい、家の形はあってもあとはなくなりました。そのくらいのもんだったのもまた悲しい話でした。

こんな寒い家嫌いだ!って仲間は帰って、そんでいま1人ということで、わたししかいないからわたしがなにかやるしかないんです。

寒いけど意外と窓開けた方が清々しいし、ひとりであらためて外を歩いてみて、そこで家を締め切っているのが良くなかったなって初めて気づいて、何がなのかわからんがなんかいま楽しいな、みたいな感じです。なんだそれ。

 

あくまでこれぜんぶ自分の意識の中の話ですけどね。なんか気づくのがいつも崩れてから、そして元をたどればじぶんに自信がない、

でもよくわかんないから、とりあえずやれることをやるのみだし、なんだかんだでいまスッキリライフだからまあいいか。みたいな感じです。よくないか。いやいいか。

とにかくわたしは外に出かけようとおもいました。来年がどうだとしても出かけます。よく分かんないもの読んでくれてありがとうございます。おわり

8/25(火)

ほんとにあついですね。わたしの家、結局エアコンがないので、すごくあつい。でも、エアコンの聞いたバイト先で仕事をするのは逆に寒いんです。むずかしいね。

エアコンって寒いと思ってひとつ上げたら暑くなって、ひとつ下げたら寒くなるみたいなのあるよね。その間がいいんだけどな〜っておもうけど、エアコンとお話できんもんで仕方ないよね。

わたし血流が驚くほど悪くて、体温が低くて循環しないから体が痺れて眠れんくなることもしばしばなの、エアコンの部屋にいたらなにかを失いそうになるもんね。そこでこのまえ急に、うわ、風呂ってすごいなと思ったの。

このまえ、今日は家に帰らんぞ!ってなった日に行った風呂屋さんというかスパ的ななにかでわたしは健康になりすぎてびっくりしたのでその話するね。

時間も時間で朝の3時とかでだれもおらんで、熱くてでかい湯船を独り占めしてジェット泡みたいなやつに脇腹とか殴られまくって、

昔からあんまり外の風呂へいく方じゃなかったけど小さい時の微かな記憶で、あーこういうおばさんいたよなとか思いながら、気泡にまみれて気持ち的に生きとるんだか死んどるんだかわからん謎のゾーンに入ってました。

そんで出て気づいた、血流が驚くほど改善。むくんでるのが常みたいなわたしの顔が、いらんもん全部落ちましたけど?って顔してた。あと肩とかのよくわかんない凝りが取れました、しかも体温上がってなにかが良好です。小さい頃から風呂はあんま楽しみを見いだせんくて嫌いだったけど改まった、風呂ってほんとにすごい。ただ一人暮らしで毎日風呂沸かして入るのは手間かかるし経済的でもないの。でも健康には変えられんよな、と思いつつも今日もこうして顔に余計なもんつめこんで出勤しています。

それはそれとして、わたし昨日仏壇をつくりました。

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それぽいでしょ。100均に布と造花の買い出しに行ったんだけど、この布見たときはさすがに勝利の笑みがこぼれた。こんな禍々しいというか仏壇感のあるやつあるなんて思わんかった。

まだ本物に寄せられるなっておもうから、もう少し考えてみる。何が足らんのかな、まだいけるきがする。

とりあえず、横の、布被せただけですが?みたいな感じのところをまたこんど手縫いかなんかで整理します。

 

そもそもなんで仏壇?って話なんだけど、お供えをしたかったの。なんとなくわかりませんか…?

誰かが遊びに来てくれた時にお土産くれるとするじゃん、それを仏壇のあるおうちはお供えするのよ、そんで食べる時にそこからいただくみたいなものが素敵だと思うんです。

なんかそれって恐らく、御先祖様になにかしなきゃって考えてると言うより、喜びを共有するというか、なんかそこに故人がおるみたいな気持ちなのかな。とりあえず日々あたりまえに尊重して扱ってる仏壇という場所があって、もらってうれしかったものとか、ちょっと飾っときたいなってものとか自然と置くみたいなのが素敵だと思うんです。そこに魂があるかどうかってもうどうでも良くなっとる気がして。いや、どうでも良くはないんだけどね。もう生霊とかでもいいで生きとる家族の写真とか飾ろうかな。だめかな。

そしてもしかしたらアカワコ不謹慎だぞって思う人もおるかもしれん、けどわたしはそういうことじゃないの、説明が難しいけど茶化してるんではないのよっていう、仏壇の文化へのリスペクトなんですよ。みたいな。そういう気持ちでおるよ。

色々昨日もの買って仏壇作成して、しばらく別のことしてからふっと仏壇を見たら、なんか部屋にこういうのあるっていいなって思いました。近寄りたくなるね。わたしの仏壇は空っぽだけど、本物はもっと楽しいだろな。

 

さすがにうるさいかな、そりゃ線香まではやめとくけど、あのおわんのベルみたいなやつとか、買おうか悩んでます。おわり。

 

7/17(金)

生きるってなんだ?わたしどこにいるんだ?って最近思います。

わたしたちって生まれる前から社会ができていて、そのうえに乗っかるようにして生まれとるじゃないですか。

そもそも人間って、地球上の億か兆かわからんけど途方に暮れるくらいたくさんいる人を全員取りこぼすことなくまとまりとして生活しようとしてるのよね。それを社会って呼んで、わたしたちはいつもそこに適応しようとしとる。そしてたぶんそれを〇と潜在的に仮定して生きとる。(だからきっと取りこぼしも一定数いて、ぽーっとした意識で見たらそれらを煙たく思うかもしれんけど、それってわりと当然で、ある意味在るべき存在だとわたしは思う。)

母体数がすごい数だから仕方ないとはいえども基本あんぱいを狙ってるというか、ちょっとでも危ない可能性があったらつぶしとこうねみたいな社会の風潮、が、危なくなかったケースの素敵な結末も潰してしまうんです、歪んでしまう人もきっといる。

そんなことしちゃダメに決まっとるよ、とか、そんなことするのアホよ、とか、当たり前のように否定できることほど、掘り下げてしまえばただの概念だとわかる。理由があるようでない、ようで、ある。

自分らしくある、みんなを理解する、みんなで生きていく、これが全部〇でしょうかっていうマルバツ問題みたいな、いや何言ってるんだろ、ただわたしがドライなだけかもしれんけど、わたしもみんなもなに頑張ってんだろうってたまに思う。

こうありなさい!よりは、自分らしくいましょうの方が多少は動物的(?)になっとるかもしれんよ、けどもうもはやそれすらもいらんと思うの、結局、周りのこうありましょうっていうのについていく意識がある限り窮屈よね、それで自分らしくいようとしても、どこかから聞こえる「みんな自分らしくいたら素敵だネ」の返事になってしまうからネ。そうだよね〜私も自分らしくいるよみんな!!みたいな。いやこれわたしがひねくれてるかな。

地球をひとつにってことは人間たちもひとつにまとまらなきゃいけなくて、それは人間としては協調していて豊かでいいかもしれんけど、ヒト科の動物としてはたぶんよくない。

いや差別とか貧困とかそこはフラットでいるべきだとおもうけど、今話してるのはそこじゃないというのだけちょっとわかって欲しいよ、今話してるのは、あなたの頭の中で寝とる人の話です。

だってわかんないことが多すぎるよね、人間の心ひとつとっても解明できないものばかりなのに、わたしたちは何をもってしてまとまろうとしとるのか。(心理学って確かに学びとして結果に出ているかもしれないけどきっとまだまだわからないし、結局統計学にたどりつくものが多くてわかんないなあっておもいます。)

人の脳は賢いかもしれんくて、だから今みたいにまとまらないと世紀末みたいな大変な世界になるのかもしれないけど、だからといってあんぱいを狙うあまり人の賢さの可能性を封じこめて生きさせるのはあまりに不自由だとおもう。制限をかけておきながら歴史的な発展をしようとするなんて矛盾してるし難しいよ。いまはたぶんそれだとおもうのわたし。

わたしの勝手な勘だけど、わたしもふくめてみんな、あと5倍くらいは脳が使えてもっと考えることができて、頭の中で考えを4次元にも5次元にも広げて置き換えることだって出来るとおもう。人間の可能性てまだまだよ。

少なくともこんなにガチガチの社会ではそれができる人って限りなく少なくて、その少ない人達がキラッキラに輝いてる、それを見て何を思うか民衆よ、みたいなのが現状かなっておもいます。ちょっと卑屈ぽくいうとね。本当は多分もうすこしライトよ。

でもガチガチにせんといかん訳もわからんでもないし罰というものが付いてくるのでわたしはファンキーになれず、大人しく甘んじて受け入れる、そのなかでこそこそコイル巻いていつか雷くらい落とせたらいいですよね。電気詳しくないから適当ですけど、そういうイメージでいきますわたし。

こうやって考えてしまう私はきっと少数派で、このブログをこんな所まで読んでくれてるあなたもわかんないけどきっと少数派で、少ないっていう文字を使っておきながら世界の人口における少数派は何万、何億人ですかって話なので、ほんと、誰が何するとかなに思うとかしらんけどわたしはこんなとこ歩いてられるかっておもいます。

でも人は好き。おわり

6/22(月)

こんにちは、わこです。

最近夜更かしをしすぎて、ありえないレベルの目のクマができました。アイラインとかが落ちたのかと思ってしょんぼりしてたんだけど、家帰って化粧落として鏡を見たら、全然クマでした。それはそれでショックよ。

なんかよくわからないけど、歳は取ってるんだなとおもいました。

 

夜更かししても仕事は休めない不条理に従って(?)今日もこうやって電車に揺られてるんですが、

最近ほんとに悩んでます、愛って難しいです。なんなんでしょうか。

愛と言っても恋愛じゃなくてただ人が人を好きな気持ちのことなんですが、もうわたしほんとにわかんなくなってきました。

一方的であったとしても、言葉とか物とかの形がないときは心地がいいし、気を使うことなく与えることができるのに、言葉とか何かにした瞬間に、お互いの熱量がある程度は揃ってないと成り立たんくなるみたいなものがもう、すごいなあとおもいます。

文化が文化ならわたしは好きな人みんなに毎日ハグして回っとるとおもいますが、それもその人がわたしの事好きじゃなかったら苦痛かもわからんし、関わり続ける人の事を今なにも言わずに好きでい続けていることって相手は少なくとも嫌な気にならんのよなって、え、今書いてたらなんかわたし、弱気な奴に思えてきました。

その人への愛はマイナスじゃないかもしれんけど、押し付けて楽しいのがわたしだけだったらいやで、その人のこと想ってお話とかいろいろしたい。

そんで、わたしとっさの説明が下手くそなのも相まって最終的にどんどん発言ができんくなります、だってわかんないんだもん。でもこれほんとに弱気ですね、書いて気付きました。

そんなら押し付け合う方が綺麗なのかもしれん。けどわたしはなかなかそうなれんくて、わたしのコンディションによっては口を開けば開くほど嫌われる感覚にもなります。もう帰る頃にはけちょんけちょんになってるけどべつにだれも何も思ってないから勝手にしょんぼりしてるだけなんですよね、たぶん。

色々考えたけど、好きな気持ちは形でも言葉でもなくてなるべくふわふわしたもので伝えようという結論に至りました。

先走ってあなた好きですって言っちゃうこともあるけど、そういう所で普通の愛と恋愛がなかなか分けられにくい今のわたしたちのマインドにはそぐわないというか空気がズレるから、わかってくれる人はいいんだけど少なくとも最善手ではないのよね、センス的にも。

でもこの考えもわたしのもので、他の人は違うだろうし、それのせいで、好きな気持ちはおんなじなのにとらえかたとか伝え方が違うせいでへんに気を使ったりみたいな心労がたいへんで、すれ違うってほんとにこれで、もうこういう複雑なのがうわーってなります。ただ好きだ嫌いだっていう2つしかない話なのに、単純に思った時からその先が他の人とかそもそもの概念みたいなものからぐわーって混ざってめちゃめちゃ広がっていってぐしゃぐしゃですよね。わたしの考えもまとまってません。人と生きるっていうのは消耗ばっかりです。

消耗ばっかりだけど、いいことはもっともっとあるから、わたしは人と話したり一緒にいたりすることが楽しくてやめられません。

ふわー夜更かしであくびが止まらん、昨日はワタクシのライブをほんとに久しぶりにやりました。楽しかったです。

恐縮なんですが、ライブが終わったあとわたしの曲についてお話してくれる方もいて、それだけじゃなくて、なんか説明しづらいんだけど、なんか今日だけは仲間に入れてくれた!みたいな感覚がして、いつもはお兄さんお姉さんでわたしとの間になにか石ころとか挟まってるのかしらって感じかもしれないけど、今この瞬間は確実にお友達だ!少なくとも!という気持ちになりました。大人になってもこうやって思うことが出来て幸せなやつです、わたし。あんまり今までにはない気持ちになりました。

とりあえず曲だけでも褒めて貰えたら、わたしは冥利に尽きる、的なやつです。いつまでも昔の曲を褒められても全然ニコニコとまらないけど、なんかもう昔のわたしという他人の曲なので、もっといいものをこれから作りたい、くやしい。

よし、がんばります。今日は夜までバイト(今も…?)、明日は夕方まで寝られる、寝る。

5/22(金)

こんにちは、わこです。

ツイッターってたいへん高度な思考がもとめられますよね。わたしは、伝えたいことがこれじゃ足らんと思って240文字超えたり、簡略化しすぎて伝わり方がわるいといかんと思って240文字超えたり、とにかく超えたりしてます。あ、240文字はツイッターで呟ける限界の文字数です。

言葉が短くて、過不足なくちゃんと伝わる人ほんとすごいと思う。やっぱりツイッターのようなものだと、おなかすいたとか眠いなーとか、なんも意味をなさない本当のつぶやきがいちばんだね。とりあえず、つぶやこうと思った内容をこのブログにコピペして今に至ります。

最近暑いですよねという話を少ししますが、わたし、前の日曜に自転車で買い物に出かけただけで腕がありえん日焼けして、2日間くらいヒリヒリしてました。

こんなことなかなかないので今年、おそらく紫外線サイドは本気ですよ。こちらもそれなりに本気で行かんとやられてしまいかねます。わたし日焼け止め嫌なんですが、さすがに痛いほうが嫌だから塗ろうかと思ってはいます(たぶん)。

日焼け止めってなんとなく美白でいたい人のものだと思ってたんですが、ここまでいたいと普通に医薬品みたいに使いそうです。

 

そんなことはともかく、

わたしいま歯医者から帰ってきました。

今回は、また親知らずレポートをひとりで語り続けます。お付き合いいただけるとわたしの歯が報われます。

ここで離脱!という方も、きょうは、大きな歯がかつてわたしの顎にささっていたよーということだけでも覚えて帰ってくださいね。

先程抜けましたわたしの親知らずその2は、ひと月半前に抜いたその1よりも色々とヘビーらしく、いまほんとに恐れています。なんなら今朝から恐れています。もしかすると前より痛いんではないか…?

今はまだ麻酔が切れてない、魔の時間です。前回の‬この時間は、全然痛くない現状に調子に乗って、わっこラジオを録ったりご飯食べたりふざけたりしておりましたが、

もう前回で、調子に乗ったらどうなるかわきまえております、その前回よりもハンパない(らしい)今回は、さすがに何も食わず落ち着いて正座をしているという状態です。わこの歯はハードコアにはなれず(?)。

辛いものを食べるなと言われておきながら、麻酔が切れてないうちにカレーライスを貪った前回とはわけが違います。わたしは一皮むけております。

ちなみに歯が抜けたあと色々禁止されるのは、血流が急に良くなるとなんか大変だかららしいです(歯医者さんにちゃんと詳しく説明頂いたけどわすれた)。なんかよくわかんないけど、だからカレー自体が辛くなくても入ってるスパイスがよくないよね。てことです。そのへんは勘ですけど多分そうです。

辛くなくてもカレーはカレーでした。

 

抜けた歯、わたしが生み出したわたしの一部なので絶対欲しいと思ってたんだけど、すんなり抜けないから割って頂いたようで、2つになってました。ああ息子よ…とおもいました。

家に持って帰ってみがいてたら、ぴったり合わさる接合部が見つかったので木工用ボンドでくっつけてみました。本当は見ていただきたいところですが、おそらく客観的に見たらちょっとレベル高めなのでやめておきます。くっつけて改めて見たら、前回のよりも大きかったです。これ埋まってて、しかも育ってたのすごいし、こう形を変えてまでグイグイしてたと思うと雑草なみの強かさを感じます。強い子に育ってお母さん感激です。

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なんとか伝えたくてホワイトボードにかきました。

右の歯は何度かスケッチしたので安定してかけますが、左は初めてだし欠けもあって、バランスが難しいですね(右の歯を左に描いて、左の歯を右に描いたから、とても説明がわかりづらい)。

あと、悔しいけど本物の方が見た目に疾走感があります。ちなみに欠けた歯のスケッチでいう左上のところが、接着したところです。

欠けたことによって、少年漫画で見かけるような、敵か味方かわからんようで多分味方かな、みたいな謎キャラになりました。イメージ。

それにしても、こんなに凛々しく大きく育ったのにわたしの顎不足で割られたり抜かれたりして、ほんとに申し訳ないなって思います。彼には来世で糸切り歯とかに生まれて欲しいなとおもいます。

糸切り歯ってなんか虫歯とか出来にくそうだし、殴り合いとかしても欠けにくそうだし、強いし、いいよね。

 

前回はきれいにすっぽ抜けたんですが今回は時間もすごくかかったし、キュイーンとかガリガリとかゴキゴキとかすごい聞こえて、お!これが歯医者ってやつか!って感じの時間でした。小さい頃にこれ体験しちゃったら歯医者さん一生こわかったんだろうなと思いますが、わたしは大人なので、冷静に痛かったという感じです。まあ大人なので冷静でした。

歯はいいけどわたし比較的口が小さいらしく、奥歯の治療となるとめちゃめちゃ口を開かんといかんくて、おそらく口裂け女になる寸前まで行ったのでそれだけは痛かったです。今鏡みてもなんか赤いもん。でも妖怪にならんくてよかった。

今回も、いつか思い出した時見返せるようにかきました。わたしもう2本も抜いたんだから最強、あなたがもし親知らずで困ったら、この親知らず抜かれるプロ ことわたしになんでもきいてください。うそです。それでは。

 

翌日談

全然痛くない。

 

 

 

 

 

4/28(火)

こんにちは、わこです。

書いては消してを繰り返してたら1ヶ月以上更新しておりませんでした、下書きばっかりいくつも溜まって、いつのまにかいくじなしになっておる、というところで投稿。よし。

 

半月前に抜いた親知らずはまだわたしの口内を蝕んでおりますが、ピークを思えばかわいすぎる痛みです。

顎は削るし2針縫うし、帰ってからもその日じゅう痛くて夜も起きるし吐き気もするしでわーわーだったんですが、最近は痛みこそないけど、今度は顎関節症みたいになりかけてきて、もう何次災害ですかって思います。ね。

そして抜かなきゃいけない親知らずがもう一本あって、そう思うとめちゃくちゃ憂鬱ですが、わたしはつよいので大丈夫です…………

 

そんなことはなんでもいいんです。

ところで今回は性別のはなしなんですが、

あの、たぶん、わたしが話すことは最近認知が進むレインボーなジェンダーのお話ではなくて、わたしは男と女両方だ!って人には誰もなれないんだなというかとりあえず意味のわからん悩みです。悩みでもないかもしれないです。

わたしにとって男だ女だというのは見た目じゃなくて中身のことで、いくら見た目と生物学上が女の人でも心が男ならわたしの中じゃそれは男です、だって当事者がそうありたいんだからその意志には寄り添うべきよ。

とか、結局みんな男か女か自分のこと認識していると思います。

わたしは自分を女と思って生きてるし、わたしの生きてきた世界じゃ狭すぎるので考え方は予想以上に無限通りとは思いますが、その考え方とは別に、誰しも自分には性別を持っていると思うんです。(心の性別もない人がいたらそれはそれで気になりますけどそれは置いときます。)

ただわたしはどうしてもその、みんな壊さないし壊れない男女の壁が気になってしまって、なんかすごく虚しくなります。知性あれど結局人間の目的は種の保存なのか、とか男女の固定観念はこんなにもこびりついとるもんなのか、とか思います。もっと大事にするべきは、男でも女でもなくただの人間として人を見る力なんじゃないでしょうか。

男女の壁を越えられない点の1つとして、男どうし、女どうしじゃないと盛り上がらない話があるのはなんでだろうと思えば、それはもうきっと本能とかの話で、無意識でもなにかしらの共通意識があるんでしょうとは思います。

男と女では心理がこう違うんだって言ってる心理学の本もたくさんあるし読んでても結構そうだなぁって思いますから、そう思うってことはやっぱりあるんだろうなって感じです。

だから大概的に男はこう女はこうって語られやすくてたまに窮屈になりますが、全体的に見るとやっぱりなんとなくあるんだなって思います。先天的というか生態的な癖みたいなの。

でもそれ以上に、仲間!みたいな見えない輪があるような気がして、例えば話をしてる場所で、同じ場所にいておんなじ人間どうしなのに、わたしじゃなくて男の人どうしで盛りあがると、なんだか仲間外れになっている気持ちになります。けど逆に意識してないところで、わたしも女どうしの盛り上がりというものを体験しとるのかもしれないし、とにかくそういうのが解け合わさらなくて不思議です。

 

あとただの異性どうしのつがいがそのまんまイコールピンク!みたいなのもなんだかなと思ってしまいます。

人それぞれ色んな気持ちの大小あるでしょうし、実際に恋愛の付き合いで信用ならないことをした人だってごまんとおるとは思います、が、

だからといってただなんでもなく男の人と女の人が2人きりでどこかに居るだけで誰かからやいやい言われたり、または言われるのに気を使って異性と過ごさなきゃなって考えることがなんかナンセンスだなと思ってしまいます、公園で怪我する子供がいるからって遊具を全部撤去するのとおんなじです。

わたしは男でも女でも、恋ではなく好きな人間は好きだし話したいから話しますが、それで仮に男の子から、僕には彼女がいるから、妻がいるから…と言われてしまったら、それは彼なりの誠実さなのか、自分と彼女の愛に自信が無いのか、とりあえずわたしには理解できないなあと思ってしまいます。というか公園の遊具も片付けたところで、走り回って転べば結局怪我もします。

結婚してないうちは誰と付き合ってるとか結婚する前に遊んでおこうとか話をよくされますが、結婚してしまったら今度は貞操がなんだ(そもそも異性をそれでしか捉えられんのがかなしい)と言って夜出歩けないとか旦那以外の男の人と2人はまずいだとかなるんだなって思いを馳せれば、結局わたしはいつまでたっても男女のしがらみを抱えながら同性とも異性とも過ごしてくんですが、なんだかわたしにはその世界観がちょっと狭いと思ってしまいます。

 

書いてたらなんかわたしのほうが人の心の理解力がないのかなって思えてきました。もしかしたら虚しいのはわたしかもしれん、けどわからんもんはわからんので書かずにはいられんのです。

わたしたち知性と理性を持ちあわせて何十年も人間を生きてる人間なんだから、人間的に好きな人と一緒に話したり遊ぶだけで別に誰のことも取って食わないだろうし(とりあえずわたしはそう)、特にわたしは女として人の目を引く魅力はないしいらないし、わたしは女の子のわこじゃなくてただの人間わこで見てほしいのに、仕方ないけど見た目が女だから、わこである以前に女というところから印象が入ってしまっている人が多いのがすごく寂しいです。とかいいながらかわいいってたまに褒められると自分のかけらほどの女性らしさに嬉しくなるのでやっぱりどこまで行ってもわたしは女だと思います。だとしても、そこで考えるのやめて欲しくないなと思います。

男だ女だって今に始まったことじゃなくて記憶がある時からずっとそうで、今よりはフラットかもしれないけど幼稚園とかからずっとあります。多分みなさんもそうなんじゃないかなとおもいます。

万が一もしかしたらわたしはあなたにとってとんでもなく面白い人間かもしれないのに、見た目の性別とか雰囲気?とかが先行して、女の子わことだけ話して人間わこと話せないまま終わる、ということが多すぎます。それでお互い構わない関係ならいいけどせっかく話してるのに人間としてみてくれなかったら寂しいですよね、特にどちらかがちゃんと話そうと思ってたりしたら尚更です。

 

たとえばその辺ですれ違った女の人がいたとして、あまりにも綺麗な人だったらそれは綺麗な女の人としてしか認識できないけど、同じ場所に集まったり話したり飲んだりしているなかでのそれだったらすれ違い程度の認識しかされてない…って寂しい話ですし、人間として見てくれていたとしても結局、女だからこうだっていう結論に持っていかれるのもすごく寂しい、そんなにも男女の概念は切り離せませんかって思ってしまいます。

なんか、別に恋愛するなという話じゃなくて説明が難しいんですが、ひとりへの恋愛の話と世界中の同性異性と仲良くなる話とはまるで違う話な気がしています。

いろんな人に恋愛感情をもったり自分の性別の魅力を多くの人に伝えたい方がいかんというより、そういった方が全部としてわたしのようなのが無視された環境は高燃費というか、なんか、ほんとに説明できないけどとりあえず悩みます。これわたしがただ暴れてるだけなんでしょうか…

少なくともわたしは女の子扱いもして欲しくないしだからといって男の子扱いもして欲しくない、だってわたしはわたしだから!みたいな、傲慢といえば傲慢な気持ちで人と話してしまいます。もしあんまり考えたことがない人がいたら、それは女はこうで男はこうで恋愛とはこうでこうなってしまうもので、、っていう誰が決めたでもない一般論を受け止めているだけなのではないかしらと思いますが、かなりわたしの暴論なんだろうなと認めてもおります。むずかしや。

男女の壁を完全にとっぱらうのはまた違う話だけどわたしは少しでも崩した人間でおりたいし、大好きな人間とは変わらず仲良くしていたいものだなあとおもいますといったところで今回は終わります。

全然わたしはファイトポーズしてないから、無神経に書いていてもし気に触る言葉があったらごめんなさい、ただ誰かにちゃんと伝えたいし同じ人がいたら話したいなと思っただけです、おわり!